「きみ」と別れるために、そしていつか「きみ」と遠く、どこかで再会するために、「僕」は旅をする

あの感情。

単調な毎日を積み重ね生きる今でも五感をフル作動させて目の前の世界を味わっていたあの日のあの瞬間を何気ない瞬間にふと思い出す。

 

17歳の春、大きなリュックを背負って一人タイはバンコクへ向かった。子どもの頃大人に将来の夢を聞かれ「旅人」と大真面目な顔をして答えた僕はあの日バックパッカーとなった。もしかしたらバンコクの地で死ぬかもしれないと思い両親と親友への遺書を日本に置いて、大好きな中原中也の詩集と5万円とちょっとした着替えを持って旅に出た17歳。「僕は孤独なんだ」と初めてバンコクの地を踏んだ時ふわっと思ったことを今でも覚えている、メンタルではなくフィジカルの面での孤独を知った。

一人旅はここでは詳細に語れない程自分にはバラエティに富んでいた、今でも相棒なレイバンのサングラスもバンコクのデパートで「これから先困窮してもいい」という思いを抱えながらインスピレーションで購入したし僕が唯一真剣にまっすぐにプラトニックに愛した人がパリから「私たちもう終わりにしよう」と国際電話をかけてきてアユタヤの世界遺産を目の前に「今までありがとう、元気でね」と電話口で涙を堪えて笑顔で別れを告げた。国際電話のあった日の夜にバンコクのバイヨークスカイホテルの展望台で美しい夜景を見ながら「傷心旅行になっちゃうなぁ」とボソッと独り言を呟いたのも誇らしい思い出だ。

 

 

それらの思い出の中でも鮮明に覚えているのは夜のバンコクプラトゥーナム市場に初めて足を踏み入れた時だ。人種の坩堝、世界中から集まってきたバックパッカーたちが集い多くの人々で賑わうあの空間に足を踏み入れた時今まで抱いた事のない感情を抱いた。喜怒哀楽のどれにもカテゴライズすることができない感情、ただただ鳥肌がたち目の前の世界を瞼の裏に焼き付け目を閉じて大きくゆっくり深呼吸をした、独特な異国の地の匂いを感じたけれどとても新鮮に感じ目頭が熱くなった。市場の小汚い屋台で多国籍の意文化交流を拙い英語で行い「タフなティーンエイジャー」とイギリス人に言われた事は今でも誇りだ。

 

あれから5年の月日が経ったというのにもあの時の光景と感情を22歳になった今でも生活の断片でふと思い出す、今でもあの時抱いた感情と同じ感情は見つからない。また一人でリュックを背負い旅に出れば抱けるのだろうか?あれから僕は旅を捨てて日常を選んだ、ごく稀ではあるが国内で一人旅を細々と続けているが国外には出ていない。しかし、今心の奥で旅に出たいという思いが再び宿っていることを知ってしまった。

将来の夢=旅人だった僕は何故旅に恋い焦がれていたのだろうか?

僕が旅をする理由は何であろうか。

しかし22歳になった僕は旅の数だけ旅の理由が存在する事を知っている。

僕が今旅をしたいと思う理由は・・・